国立マンション訴訟二審判決を受けての論点   

 ブログで展開されているいくつかの記事を読みました。国立マンション訴訟二審判決を受けての論点には二つあることがわかりました。

 一点目は、現行法の枠組みで、明和地所のマンション建設行為に対して、行政は、住民の意向を汲んだ対策がとれたか(規制できたか)という点。

 二点目は、景観権を認めなかった判決に対する憤慨。

第一点目から、それぞれの意見を見てみよう。

BLUE NOTE
 要は素人じみた国立市の行政対応が招いた混乱であり、住人対不動産屋の訴訟では収まらないところが破綻しているのだ。明和地所はかの土地を購入する際綿密な事業収支のもと購入しており、「市長が替わって法律を急いで作りました。ついてはこっから上は建てては駄目です。」などという幼稚な理屈で面積を減らせば、事業が破綻するのである。


Little by little and bit by bit
 多分、市が条例をつくっておくべきだったんだろうね。
京都の31メートル規制みたいな。


tad
 私ですか? うーん、明確にいえません。いえることは、住民側の主張はよくわかるし支持したい。が、残念ながらその主張を裏付ける法的根拠が今のところ薄いのではないかという感想です。そうした主張が通るような法律をきちんと整備すべきだということではないでしょうか。


しばにっき
 国立マンション事件の1審判決は、「自己犠牲ないし土地利用の自己規制」というファクターを挙げ、自然的景観を享受する利益や歴史的建造物による利益と都市景観による付加価値が異なるとするが、これも、単に景観が成立した由来を示すものにすぎず、これをもって他の者に対して景観を維持することを求める根拠とすることは理論的に困難であろう。
 むしろ、上記のような「自己犠牲ないし土地利用の自己規制」があれば、地区計画を作ってそれに基づいて規制をするのが筋である。
 そういった意味で今回の東京高裁判決は妥当な見解を示したものといえると思う。


たにぐち放浪記
 本件では国立市・東京都が条例を制定するのが遅く,しかもそれまでの行政指導があいまいだったというのが本質的な問題点であり,その結果明和地所も住民も迷惑こうむったという状況だ。東京地裁は景観権を(どういう景観かにもよるが)認めるというえらく画期的な判決を出した。しかし,東京高裁は従来どおり景観権を否定し,本来行政が主体となって景観を整備すべきとした。結局,国立市が半端だったからいけなかったと,遠まわしに言ったようなものだ。


 私がブログをサーフィンして目に付いた記事を抜粋しました。この中には反対派住民はいらっしゃらないようで、その意味では、この事件を冷静に見ていらっしゃるものと思います。

 私も概ね同じ考え方を持っています。「住民が守ってきた景観の権利を高裁によって一蹴された!」という感情論からくる議論は、ここではちょっと置いておきましょう。二つ目の論点で言及しますから。

 そのような感情論から離れると、やはり、マンション建設におけるルール作りがなっていなかった、といわざるを得ないのが今回の事件だと思います。現実問題として、この場所には高層マンションを建てることが可能だった、という事実があります。マンション計画が発覚してようやく都市計画の変更に着手したそうですが、「何十年もかけて守ってきた景観が壊された」という主張が一部にあるそうですが、何十年も前から、自主的な規制しかしてこなかった、という事実があるのではないでしょうか。つまり、お隣さん、ご近所さんの土地所有者が話し合って銀杏並木の高さから出ないような建物にしていきましょう、と自主的に取り組んできた歴史は確かにあるでしょうが、残念ながら、法律上は建築が可能な地域であったということです。

 もし、そのような自主的な規制をかけているところでは、巨大マンションに限らず、自主的な組織外の人間が建築をしようとするとき、どこに対してその許可を求めることになるのか。そこはやはり、行政が窓口となって、街を統一的に整備することになるでしょう。国立市は、住民の自主的な取り組みに対して、特に、高さの規制に対して、それを行政の施策とする判断を、これまで何十年もしてこなかったのではないかと考えることが妥当でしょう。

 国立市の都市景観形成条例に基づいて、市長から「20mの銀杏並木と調和するように」との指導があったといいます。反対住民側は、市の行政指導に従わなかったと明和地所を非難していますが、明和地所側は、景観条例にいう“景観に調和”というのは外観や色であるとし、高さに関しては該当しないと反論しています。

 結局、これをもって「明和地所は法をすり抜けた悪徳業者」呼ばわりされるわけですが、これは、景観条例に、大学通りの高さ制限という形で、具体的に保護する景観の基準を設けるか、地区計画の変更を直ちに行えば、この問題は持ち上がらなかったと言うことができます。

 地域行政が地域住民の自主的な運動を逐一拾い上げて条例化することなど、実際には現実的ではないでしょう。反対住民側が、何十年もの間、我々の手で景観を守ってきた、というのは、実際には、行政を巻き込んで、自主的規制ではなく、行政の施策として制度化しておくべき内容だったのではないでしょうか。

 建築確認の許認可の権限は東京都にあります。東京都は、制度上、必要な書類が提示されれば、制度上の認可について審議しなくてはならないでしょう。制度上に遡上してこない自主的規制は、さすがの建築主事も判断ができないので、この点で東京都と争うことは筋違いにも思えてきます。

 現行制度がある以上、まずは制度面からこの問題をおさえておきましょう。

 では、住民側の心情面についてはどうなるか。それは次回で。
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by cogno_eb2 | 2004-11-01 20:42 | ニュースコラム

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