理解できないのはこっちだ。  ~小泉首相~   

小泉首相の靖国参拝が違憲と判断された。

 私は至極当然の判決だと思う。むしろこの判断を避けてきたこれまでの司法の態度が疑問だ。それだけに、裁判長の「過去を振り返れば、首相の靖国神社への参拝に関しては、数十年前から取りざたされながら、合憲性について十分な議論も経ないまま参拝が繰り返されてきた」(毎日新聞)との危機感と、判断をしなくてはならないとの義務感に基づく判決は、素直に評価したい。

 小泉氏本人の意向や参拝に込める気持ちがどうとかいう問題ではない。

 太平洋戦争中、神道が国の手厚い保護を受け、国家を治めた天皇が一宗教のトップ(=現人神)に位置づけられ、神道は国家神道として、治世の柱となった。神格が軍部に利用され、周辺のアジア諸国に深刻な傷を残した。

 国家神道=軍国主義であった戦中の教訓を念頭に考えれば、信教の自由は「何を信じても自由」に加えて、「何を信ずるかを権力から強要されない」こと、政教分離の原則は「国家が特定の宗教を保護しない」ことに加えて、「特定の宗教団体に利益をもたらす施策を行わないこと」と考えることができる。

 であるなら、一国の首相が公務として一宗教団体へ赴くことは、戦中の教訓から何も学んでいないことになろう。判決では小泉首相が公用車を使って参拝し、内閣総理大臣と記帳したことを公務と判断し、さらにはこの参拝で参詣者が大幅に増加したことから靖国神社の収益増につながったとしている。

靖国参拝「違憲でないと確信」=小泉首相

 小泉首相は「伊勢神宮などを参拝した時も『内閣総理大臣』と記帳している。靖国だけなぜとがめられるのか」と発言しているが、訴状が靖国参拝に対してであったから、靖国参拝への判決が出たのだ。伊勢神宮やほかの神社への公式参拝を訴えの対象としていれば、その答えは当然もらえるだろう。今回の判決で「靖国だけダメ。伊勢神宮はいいよ」と言っているわけではないことくらい、素人にでもわかる話だ。

<小泉首相>「靖国神社は私的参拝」初の表明

靖国参拝は私的?「そうです」と首相

 さらに小泉首相は「個人的な信条に基づく参拝だから私的な参拝といってもいいんですかね」と発言し、初めて私的参拝のつもりだったことを表明した。これまではたしか「小泉純一郎として参拝している」としてはぐらかしていたが、違憲の判決でさすがに「あれは私的だった」と逃げざるを得なくなったのだろう。

「日本人が靖国神社に参拝してどうしていけないのか。(反発は)不思議で仕方がない」という発言もあった。中国が怒っているのは、日本人が靖国に参拝しに行くことではない。私が参拝しても中国は怒らないだろう。一国の首相が参拝するから怒っているのだ。すりかえてもらっては困る。そして、なぜ怒っているのか。戦争犯罪人をまつってある宗教施設に首相が出入りしているからだ。

 神道がなぜ戦争犯罪人をまつるのか、また、「まつる」というのはどういう意義があるのか、私はよくわからないが、まつることで戦争犯罪人の魂が神となってそこに宿るのなら(ほんとかよ?)、それに会いにいっちゃまずいでしょ。戦没者の追悼の意味であれば、戦争犯罪人とそいつらの命令で尊い命を失った戦没者を一緒に追悼するのは明らかによくない。

 小泉氏が私人として神道の信者であるか、信者として参拝しているかどうかなど問題ではない。靖国という宗教法人がどういうつもりで、どういう意義で戦犯をまつりあげているかの意義も問題ではない。問題は、戦争犯罪人を宗教施設内に位置づけている宗教施設に首相が出入りするという外形的な行為が、先の戦争の反省をし、二度と繰り返さないという姿勢として受け止めることができないと周辺諸国は言っているのだ。

 同時多発テロを引き起こしたテロ組織には、アメリカ人を殺せという中東の神の教えが根本にある。仮にテロ組織が「もうしません」と白旗をあげた後に、引き続き戦争の神の宗教行事を大々的に行ったらどう思う?またやるんじゃないかって思うでしょ?それがテロ集団ではなくて国家のレベルで問われているのだ。

 小泉首相が戦没者の追悼をどうしてもやりたいというのなら、神社にこだわらなくてもよい。純粋に神道の信者として宗教行事に関っているのではなく、戦没者の追悼なのであれば、無宗教の戦没者追悼施設をつくり、一国の首相が反戦の誓いをそこで立てるという姿がもっともわかりやすいではないか。

 でも、その施設は靖国神社の圧力で、神社信仰のあつい靖国族議員(?)たちが反対の立場を堅持しているから、いっこうに話が進まない。こうやって神道が政治にからんできて政策に影響を及ぼしていることこそ、政教一致だよね。

 政教一致・政教分離の問題は、戦中の過ちを二度と起こさないことを念頭に、公的機関(総理大臣や閣僚を含む)の行為を外形的に捉えて判断しなくてはならない。首相は日本国民として、日本国憲法のもとで信教の自由が保障されているが、公的機関としてはその行動が規制されているのだ。個人として何を信じようがかまわないが、公的機関としての行動と立て分けて考えなくてはならない。公的機関が「日本人として神社に参拝することは当然」などと発言すれば、公的機関が神道を国教と認識していることにもなりかねない。

 このあたりの議論が精緻にできない人(靖国神社とねんごろの靖国族の議員たちも含めて)には、政界から退場してもらうしかない。

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by cogno_eb2 | 2004-04-08 12:13 | ニュースコラム

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