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維新八策の評価(5)   

維新八策の4.教育改革

維新八策が掲げる「教育改革」は、世界水準の教育復活というサブタイトルが付いている。

何をもって世界水準なのか・・・。謎である。こういう場面でこういうレベルの言葉を聞くとは思わなかった。

掲げられている理念は、苦笑もしくは失笑が漏れることが連想される。
・あしき平等・画一主義から脱却し、理解ができない子どもには徹底的にサポートし、理解できる子どもはぐんぐんのばす、個人の能力を真に伸ばす教育へ

言っていることはあたりまえ。今でもその理念でやっていることだろう。理念がそうでなかったら逆に大きな問題だ。

「あしき」とか「真に」という主観的な言葉はこういう場面で使うと陳腐になる。

また
・格差を世代間で固定化させないために、世界最高水準の教育を限りなく無償で提供する
とあるが、ここでいう格差とは教育格差のことを言っているのか。それとも経済格差のことか。教育水準を上げることで経済格差を解消すると言っているのか。

現在、義務教育期間は限りなく無償だと思うのだが、これは高校・大学の無償化を意味しているのか。実は、基本方針を見てもそれは明らかにならない。

最後に、
・教育行政機関主導から生徒・保護者主導へ
とあるが、現在の教育現場の問題は、教育行政機関主導だから起きているのではない。教育行政機関が機能していないのだ。昨今のいじめ問題における教育委員会の姿を見ていれば分かろう。

生徒・保護者主導とは、何について主導権を生徒・保護者に渡すというのか。これも基本方針からは読み取れない。

維新八策の中で理念と基本方針が最もかみ合っていないのがこの教育改革の項だ。

基本方針に目を転ずる。
維新の会は、文科省、教育委員会といった組織が教育問題の元凶だと言っている。それはある意味正しい。分権型国家になり、かつ首長に教育に関する権限を持たせることは一つの解決策であるようには思える。

ただ、教育現場の問題は、責任や権限の問題で解決できる事項がどのくらいあるのかが見えてこない。

維新八策はどうしてもそうした権限の問題に偏るきらいがある。

教員の質、教育の質、学校の質を保護者が選択できる権利があることを明示し、学校経営にこそ維新の好きな「競争原理」を導入し「切磋琢磨」させる必要がなかろうか。

教員の身分保障を無くし、ダメ教員はクビという大胆な表現を入れ込むべきではないのか?どうも腰が引けているように見える。

ダメ教員の基準はある程度はっきりするだろう。「世界最高水準」の教育を行うにふさわしくない教員の姿を列挙すればよく、該当すればクビだ。

「世界最高水準」を持ち出さずとも、いじめを放置したり助長したりする、教壇で自身の個人的な政治信条や思想信条を話す、選挙活動をする、セクハラ・パワハラなどの要件に該当する行為をする・・・、不適格者はたくさんいると思われる。

教員のマネジメントができない学校はつぶれる、そういう制度こそが維新のオハコなのではないだろうか。

by cogno_eb2 | 2012-09-21 04:27 | 維新の会

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