ローカルマニフェストの疑問   

マニフェストそのものにはおおむね賛成だ。

 立候補者が当選後の自身の政治活動において、何をどのようにするか具体的な目標を掲げ、それが達成できなかったら次の選挙で信任を得られない。その意味では、これまでのいいっぱなしの公約&進捗が確認できず言い訳でかわす余地の残る抽象的な公約と異なり、立候補者にとっては非常に厳しく自身を律する内容となるとも言え、これが定着すれば大きな意味があると考えられる。

 ただ、マニフェストは依然として国政選挙のものであり、しかも、しばらくは政権政党対野党第一党の戦いの道具になるだろうという懸念は拭えない。社○党や○産党といった超弱小政党が何を言ったところで、法案の提出もできなければ何もできないのだから。

 先の選挙でも実際に各党のマニフェストの中身を見てみたが、政権政党は霞ヶ関という膨大なスタッフとともにあり、野党とは情報格差がありすぎる。野党は政権を取ろうとすれば奇をてらう傾向もある意味仕方が無く、実現可能性としては「やらせてみないとわからない」状態にあり、鵜呑みにして選択してよいものかどうかに不安がある。

 一方の政権与党の方はと言えば、確かに優秀な官僚集団である霞ヶ関というスタッフのおかげで、現在進行形で、しかも実現可能性の高い施策を並べるには好都合である代わりに、既に官僚達が引いているレールから外れる内容を打ち出す可能性は低く、その意味では純粋に当該政党の政権公約であるか否かの見極めが難しい。

 国政選挙ですらこの有様であるから、ローカルマニフェストとなれば事態は深刻だ。現在のところ県知事や市長といった首長選挙において作られるところまでいっているが、地方議員や政党の地方議員団が作成するまでには至っていない。

 何が深刻かというと、前任の首長なら話は別だが、全員が新人の候補で、かつ、当該自治体の元議員や元役人でない場合、その候補者たちがその自治体の情報を持ち、その自治体の運営に最も有効な策を自力で作らなければならない、ということだ。

 作成における労力が問題なのではなく、当該自治体の主要課題や問題点などを外から見て十分に把握できる確立は非常に低いのではないか、ということが問題である。すなわち、地方行政の現場を知らずしてマニフェストが作れるのか、ということだ。そうやって作られたマニフェストは果たして実現可能性があるのかどうか。華々しく書き立てても、現実には実現は困難で、引っ込めざるを得ない状況にあっては意味が無くなるし、無理矢理予算を割いて実現させようとするなら、素人が飛び込んできてあれやれこれやれと権限を振り回す事態になりかねない。

 前任の首長対新人の選挙になったらば、新人が行政運営に関して未経験者ならば、この両者の情報格差は歴然で、とてもその新人がこれまでの公約を超え、かつ前任と戦えるだけのマニフェストを掲げられるとは思えない。

 その意味では地方議員こそがローカルマニフェストの作成に尽力しなければならないと考えられるが、実はここにも大きな問題がある。それは、地方議会には議会の招集権もなければ予算の提案権もなく、さらには、実態として議員立法をほとんどやっていないという現状があるのだ。平たく言えば、議員は本会議質問という雛壇に立ち、あるいは各委員会において、議場や会場で首長に「これはどうなってますか?」とか「首長のお考えをうかがいたい」といった「お尋ね」をするしか仕事がないのだ。「お尋ね」はするが対案を示した攻防戦はできない。予算の提出権がないから、首長が提案してきた(といっても実際は役人が作ったのだが)予算案に目を通し、考えを「お尋ね」して追認するだけの機関であり、その人達にはマニフェストを作りようがないのが実態だろう。「こうします」と宣言できないのだから。

 この点国会は法律案の戦いにおいて対案の戦いができるのだが。

 ということで、ローカルマニフェストには疑問がある。

 先日ローカルマニフェスト検証大会が開かれたそうだが、その記事を見てふとそんなことを思った。
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by cogno_eb2 | 2005-12-08 11:16 | ニュースコラム

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