議会改革・地方政治改革   

新聞記事で「通年議会」「議員報酬日当化」の記事を読んだ。通年議会を目指すのは、議会改革に熱心な三重県議会。日当化は、財政状況の悪化が懸念される矢祭町。どちらも、議会の議員が、その地域の実情と真剣に向き合った結果として、好意的に受け止めたい。

私は、地方議会は非常に無駄の多い、そして、実情とは乖離した「理念型」のみで存続しているものだと認識している。

無駄というのは、仕事ぶりに対する報酬の高さで、「理念型」というのは、選挙による住民代表というところまではよいが、選挙後の活動が、決して民意を地方政治に反映させているとはいえないということであり、いずれも、地方議員の仕事内容に起因する。

地方政治は民意によって成り立っているか。これは「理念型」からすれば、当然成り立っていることになる。知事や町村長(以下「首長」)は選挙で選ばれているし、議員もである。自治体全体の代表である首長と地域代表として選出される議員が、二元代表ということで議会で火花を散らす・・・。「理念型」とすればそうだ。

しかし、自分が議員になったときのことを想定してみよう。一つの事業や制度の裏には、膨大な量の専門家集団(役人)が控えており、法律の解釈やら事業の正当性根拠(背景にあるデータやそれに基づく意味づけ)など、その事業や計画が「正しい」とする理由が山のように積んであり、決して「実は間違っていた」ということは言わないシステムができあがっているのである。これを崩していくには、普通に考えて、一人で同じ量の周辺データと向き合い、どのように実施すべきかの解を導き出さなければならない。これは、役人何人分の仕事になろうか。

議会開催中以外の活動として、この役人何人分かの仕事をきっちりやることになれば、議員報酬は決して高すぎるということはないかもしれないが、議会質問を聞いている限りでは、実際にはそこまでの検討を行った結果対案を示す、ということはできていないように見える。

議員の質問は、主に、「知事の所見を伺う」とか、「十分に検討していただきたい」といって注文を付ける(実際には注文をつけたことになっていないが・・)くらいの発言にしかなっていない。さらには、知事や役所が認識している、あるいは、判断している根拠となるデータなどを引き出して、最後に「検討していただきたい」で締めるとなると、これは単なる質疑セレモニーでしかない。質問した結果、既定路線が変更になったなどの変化を与える結果を伴わなければ、いかに時間を費やそうとも、既定路線の追認でしかない。

既定路線の追認であるならば、「事件は会議室で起こっている」という「踊る」の管理官の発言のように、政策は、議場ではなく、役所で作られている、のである。そして、様々ある膨大な案件を、すべて知事が一つ一つ、背景データを積み上げて立案していることはあり得ないから、有権者の信任を得ていない役人が作り出しているのである。

これは、変えなくてはならないだろう。

どう変えるか。役所は、議員に質問されるレベルの背景データ、事業や計画決定という意思決定に至るプロセスのすべてをインターネットで公開し(もちろん、窓口で資料として公開もするが)、誰でも容易に情報が手に入るように変えるべきだ。そうすれば、議会の質疑で、判断の根本となるデータの説明や考えの説明といった部分は割愛でき、質問時間を政策質疑に当てることができるのである。

議員もまた、与えられた質問時間の中で、「知事・行政からこんなデータを引き出した」「言質をとった」ことを手柄とするのではなく、知事や行政の認識や判断に対し、住民意思を背景に異を唱え修正させることに費やすことができるのである。

つまるところ、知事(+役所のスタッフ)と議員との情報のギャップがひどすぎで、これが有権者との情報ギャップはというと100:1、いや1000:1ぐらいかもしれないので、このギャップを埋めることが第一であろう。

東京大学の金井利之教授は、有権者がお任せ民主主義になり、議員はそんな有権者の口利きでポイントを稼いできたという趣旨を雑誌に寄稿していたが、まさにそのとおりで、その状態から脱却しないと明日はない。その理由は次回で。
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by cogno_eb2 | 2008-03-10 22:18 | ニュースコラム

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