地方分権改革は進むか   

地方分権改革というのは、実は1993年に、衆参両院で「地方分権改革の推進に関する決議」というのをやってから、実に15年もたっているんですね。衆参両院で決議ということは、国民全体で地方分権に合意した、ということになるそうなんですが(記憶に全くない・・・そのころアタクシは学生か・・)、それから何か進展があったのでしょうか。

ググってみて何となくわかったことは、国が都道府県や市町村に命令一下手足のように動かすという機関委任事務制度が2000年になくなり、「地方の裁量が増えた」と評価されていること。
本当にそうなのだろうか。そして、その地方分権は私たちの生活に何かいいことをもたらしたのだろうか。謎であります。

東大の神野直彦教授は、「福祉国家の行き詰まり」から、これまでの成長重視政策から生活重視政策への転換を、中央集権から地方分権へと転換することによって、実現し、行き詰まりを解消すると論じています。

一方で、地方分権改革推進委員会委員の井伊雅子一橋大教授が、地方分権によって、増税なしの行政サービスの増加など、嬉しいことがいろいろ起こるということはあり得ないと明示すべきという趣旨のことをハッキリ言っていることが印象に残ります。これは、法令による地方自治体の財政負担が固定化している中で、自治体が独自にサービスを拡充しようとすると、相応の資源が必要で、法定外目的税など独自の課税で資源を集めなければならない、手っ取り早く言うと今よりも負担が増える、ということを抜きに語れないということでしょう。

神野教授の論理はわかりやすく、地方分権の必要性という抽象的なつかみにくい概念が、なるほど、とストンと落ちるのですが、実際にどうやっていくかという地方分権改革推進委員会でのやりとりを見ていくと、簡単ではないな、というのが率直な印象。

現に霞ヶ関は「地方に権限なんかやらね~。判断するのはあくまで俺たちだ。」という姿勢が崩れておらず、動かざる事山のごとし、なわけですので、地方分権バラ色論というのはあり得ないんだなということがわかります。こんな山のごとしの国が2000年に機関委任事務をなくすことに合意したというのだから、2000年の改革はきっと骨抜きだったに違いない。あるいは、お得意の、概念上の成果だったのだろう。県庁のHPを見ても、具体的に何がどう変わったのかは一切書いてないので、結局、具体的には一切変わっていないのだろうと思います。

地方に権限がおりてきて、自由裁量のワクが広がったのなら、県や市独自の判断でこれまでできなかったことができるようになった!というPRがあっても良さそうなもの。国がこんなに強硬姿勢だから、2000年の改革は、国にとって痛くもかゆくもないものだったのだろう。機関委任事務の廃止は画期的なこと、という評価は、行政学者や行政法学者が、特殊な価値観の上で言っているのに過ぎないのだろう。神野教授が言うような、そこに暮らす人がわかるような変化はまだないし、井伊教授がバラ色ではなく痛みだと警鐘を鳴らすような、痛み(=独自課税によるサービスの向上の動き)についても聞こえてこないのが現状だ。

結局、何も変わっていない!?

小泉政権の三位一体改革以降、焦点は税財政の問題に移行したらしい。そりゃそうだ。無い袖は振れぬ。権限が概念上地方に移ったという改革の次に、財源が実質的に移ったとならなければ、実質的に地方自治体はなにもできない。カネが発生する事業の実施権限は当然のこと、許認可の権限(紙のやりとりだけの話という例です)すら手放そうとしない霞ヶ関の強行姿勢に、分権改革推進委は手を焼いているそうで、これでは、神野教授のいう福祉国家の限界を乗り越えることは当分できないと思っちゃうんですな。

一方で道州制ビジョン懇談会というやつがあるそうで、そこでは「分権改革推進委は中央集権体制の元での役割分担の話をやっていて、ビジョン懇は国のあり方そのものを論ずる」と座長自ら発言してるから、国が国のあり方そのものをドラスティックに変えることに首を縦に振ることは考えられず、道州制など夢のまた夢物語と言わざるを得ませんな。

結局、この国は明治維新後連綿と続く、霞ヶ関“一党”支配(!)で成り立っている。これを改革しようとするには、改革前と改革後の具体的な絵が描けないとダメでしょう。理念はわかった。総論では分権化でよし。あとは具体論です。

地方分権反対の霞ヶ関に対して、地方分権推進の地方自治体の側から、さしたる具体論が出てこないのは寂しい限りですな。


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by cogno_eb2 | 2008-03-10 22:20 | ニュースコラム

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