年金制度を考える(10)   

木村さんとこのタスクフォースが盛り上がってきましたね。

CD-ROMでデータとプログラムがもらえるかもしれません?

 データとプログラムももちろん大事ですが、厚生労働省で改正年金法の趣旨や概算をまとめた資料というものは請求できないのでしょうか。データに基づき、どのような判断を下して改正年金法になったかが分かるはずですが。そして、厚生労働省がなぜ「賦課方式・給付建て」に固執するのかの根拠も。

 年金制度を考える(8)これまでの改革で書いたように、国際的な論議では、「世界銀行 VS ILOおよびISSA 」という論争が存在する。厚生労働省は世界銀行の主張に対してどのような見解にあるのか、是非とも知りたいところ。

 ウチのブログでは、タスクフォースのよる数字の分析ができる一手先を見越して、木村さんが新年金案を出されているのにならって、私案をまとめていきたいと思ってます。木村さんのところに出入りしている他のbloggerから対案がでていないのが少々さびしいですが。
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 さて、私の対案について続きを述べておこう。

①改正年金法による現行制度を維持する。
②個人勘定を導入した確定拠出型の新年金を創設する。
③現行制度から新年金への移行は希望制とする。

 まず、私は「賦課方式・給付建て」に反対しているのだが、その理由は、ピラミッド型の人口構成が崩れた場合の「賦課方式・給付建て」は、若者が出し合ったカネを受給対象者が全部使い果たしてしまうことの繰返しだからだ。



 ここで注意しなくてはならないのは、国庫負担、つまりは我々の税金が、これまでは全体の1/3、改正年金法では実に1/2投入され、さらにはピラミッド型の人口構造であった、あるいは景気が良かった時代に余剰として積み立てられた遺産を切り崩していかないと、給付をまかなえない状況にあるのだ。



 イメージ的には、支払いきったところで、積立金の取り崩しの残りを残して、すっからかん、という処理の繰返し。

 このような状況にあっては、もはや、純粋に保険料にもとづく年金制度というものは破綻していると言わざるを得ない。次の2点について数字をはじき出してみればはっきりするだろう。

1.国庫負担をゼロにした場合の保険料と年金支給額のシミュレーション
2.国庫負担が1/2の現行制度の場合の、保険料+税負担分が所得に占める割合

 国庫負担をゼロにした場合、集まった保険料のみで、純粋に年金制度を賦課方式で行おうとすると、支給額がものすごく少なくなるだろう。であるにもかかわらず、給付を確定させてしまうから、そこに財源の不足が生じて、税金を投入しなくてはならなくなる。

 また、現行制度で保険料は確定させているが、たとえば厚生年金の場合は所得の18%強の負担率であるが、これに税負担が加わるので、実際の負担率はもっと大きいはずだ。実際、個人の所得の点からみて、年金のためにどれだけのカネを投入して、どれだけのリターンがあるのだろうか。これをはっきりさせるべきだ。

 保険料は確定されているが、税負担という隠れた負担があるので、木村案のように、いっそのこと税方式にしてしまえ、というのはある意味わかりやすい議論だ。税方式なら徴収の方法を整備すれば今よりも「とりっぱぐれ」がなくなるかもしれないし。

 しかしながら、木村案では15万円の給付を確定させる方式が提案されている。そして財源は一般財源となっている。一律15万円を確定給付とする場合の税財源のシミュレーションをしてみないと、この数字が実現可能かどうか判断できない。特に、税負担が所得の何%になるのかが非常に重要になってくる。現行制度の「保険料負担+税負担」が所得に占める割合との比較が必要だ。

 さて、確定給付型を維持しようとするなら、どうやら税方式に移行しなくてはならないようなニオイがしてきたが、私は給付を固定させるよりも、支払いを固定させたほうが良いと考える。確定拠出型で、運用の結果の増減はあって仕方が無いと考える。それは、自分が支払ったカネが社会保険庁のボケどもの浪費に使われたり、国の運用の失敗で大損こいたり、という、我々の手の届かないところで目減りすることよりも合理的だと考えるからだ。

 つまり、個人勘定で管理するから、いくら支払ったかは明確だし、自分の支払ったカネはきちんと管理される。まちがっても社保庁の飲み食いに使われることは無い。また、65歳の時点で総額いくら支払うのかの見通しが立つ。そして、65の時点で運用された結果を一括で支払ってもらう。「長生きしなきゃ元が取れない」という制度はおかしい。早死にしたら自分が払っていたカネが、自分のものではなくなるのはおかしい。個人勘定できっちり管理するほうが合理的だ。

 よって、個人勘定を導入した新年金を創設し、希望すればそちらへ移管することを可能とすれば、木村案のように「脱退」というセンセーショナルな言葉を使わなくてもよい。

 木村案でいう「年金脱退権」の概念は、これまで支払った保険料の権利を放棄して、今後保険料を支払わない代わりに老後の15万円の給付を得る権利をもらう、というもの。一方脱退権を行使しない人は、年金積立金を山分けにできる権利が与えられる、というもの。

 私は年金積立金は、現行制度が存在する以上、取り崩しながら保険料給付に当てられると考えているので、山分けの権利は発生しないと考えている。もし年金積立金を山分けするのなら、結局給付の際の財源が不足するので、国庫負担を1/2以上に引き上げなくてはならない。結果的に年金脱退権を行使しなかった人は、その時点での積立金の山分けの恩恵に預かり、しかも現行制度での給付を受ける(一部は税金で保障されている)わけで、二重のうまみになってしまう。一方、脱退した人は、これまでに支払った保険料は現行制度にプールされるので、脱退しなかった人の給付に当てられ、自分はというと月15万の保障を得ただけ。若い人で保険料の支払いをそれほどしていない人にとっては得な計算になるだろうが。

 私は個人勘定を導入した確定拠出型の新年金を新設し、若い人はそちらへ移管すればよいと考えている。移管といっても、イメージとしては、年金財源としてプールされている国庫に、個人の口座を作るような作業だ。個人勘定を創設して自己責任で運用するわけだから、運用期間が短い人は不利になる。したがって、移管を希望しない人も出るだろう。その場合は移管を希望しない人がいなくなるまで現行制度を維持させればよい。あと40年もたてば新年金で一本化できるだろう。

 その間は現行制度と並行するから、現行制度を選択した人がいなくなるまでは、どうしても国庫負担による制度維持が必要になるが、私の考えでは、運用に不利となると思われる50歳から上の世代と、40歳代から下の世代で、概ね現行制度と新制度の利用が分かれ、新制度を選択した世代からは、少なくとも年金制度への不安は解消されると考える。
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by cogno_eb2 | 2004-07-27 11:18 | 年金問題考

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