2009年 08月 26日 ( 1 )   

認識→評価 客観と主観の構造(5)   

 本稿の関心では、主体者を研究者ではなく「人々の日常で客観化されている世界」に生きる「人」であるので、次のように分類できると考える。

 第一は、前科学的直観の段階で収束する関心である。第二は、前科学的直観から、より広いエリアでの妥当性を求める行為に転ずる関心である。

 前者は家庭や職場といった自身が所属する集団において、必ずしも価値理念の相違を解決する必要のない関心であり、うわさ話やニュースの感想程度のもので、仮に異なった捉え方をした複数の行為者がいても、妥当性根拠にさかのぼって相違を解消する努力を必要としないレベルの情報・知識を取り扱っているケースである。

 先の例でいえば、増税のニュースを聞いて「困ったものだ」とひとしきり話題にして、それで終わるケースだ。

 第二は、マス・メディアやインターネットの情報に対して「主観的な“評価”」を下し、それがマス・メディアの報道やインターネットにおける情報とは異なった評価であったり、同じテーマでも角度が異なるなどの差異が生じた場合、それが自己表現の欲求と結びつき、関心を呼び起こす元となった情報との差異を表現する行為となるケースである。

 また先の例でいえば、増税のニュースに対し、政府が計画している増税の経緯と中身をもう少し詳しく調べ、新しく得た情報をもとに、増税は仕方が無い側面があるが、現在政府が計画している税率をもう少し下げよ、と考えが具体的になったり、マスコミやネットなどで主張されている様々な意見と議論したりするケースだ。

 下田のいう「社会的現実の探求」とは少々次元が異なるけれども、この第二のケースにおける行為者は、自身が見つけた差異を正当化するため、あるは、妥当性を証明するために、当初に下した「主観的な“評価”」を裏付ける事象やデータを検索する行動をとる。

 さて、科学者・研究者の科学的認識は、第3段階に入り、研究者の関心に基づくモデル化の段階になるが、我々のように生活世界にある行為者は第二段階からどのような段階に移行するだろうか。

 生活世界にある行為者は、自身の直観的な問題関心に基づいて、最初の価値判断(評価)を行うが、自身の価値判断を他者に訴え、他者とコミュニケーションを行おうとする段階で、自己の価値判断の正当性根拠を検索し、ある種の理論武装を行おうとする。

 その次の段階においては、ここでもやはり2パターンに分かれる。第一は、自己の主張の正当性根拠を示しつつも、他者の主張に耳を傾けることで自身の当初の価値判断に変更を加え、自己の主張を強化、または自己の主張の変更を行う。第二は、自己の主張とは異なる情報に対しては、あくまで当初の自己の直観的評価を譲らず、異なる主張に耳を貸さないか、強く攻撃する。

 行為者は、社会化の過程で後者から前者へと進化すると一般的に考えられるものの、それは直接的な対面でのコミュニケーションにおける行為を想定しており、今日のようなバーチャルなコミュニケーションの場においては必ずしもそうとはいえない現象が起きている。

 生活世界における行為者の第三階においては、研究者の第三段階とは質的にかなり異なるものの、「モデル化」に近い作業を行っている。これは、あくまで個人主観の内側においてではあるが、これまでの自身の価値理念をさらに強固にするか、もしくは、変更・修正をして認識の視野を広げていくかの別はあるにせよ、学習することによって自身の認識のパターンを作り上げていく。

認識→評価 客観と主観の構造(6)へ続く
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by cogno_eb2 | 2009-08-26 00:52 | 社会学的考察