カテゴリ:雑記(日記?)( 193 )   

ガンと闘う(8)   

どうやら、この大学病院ではリハビリの段階まできた患者は置いておけないということらしい。外科手術が終わり、外科から内科へ責任が移ったら、抗がん剤の投与は内科外来へ通えというルールなので、入院しながら病室で抗がん剤投与はできません、とのこと。ガンは肥大してきており、立てるようになるのを待って外来へ通院、というのでは遅すぎるというのだ。

状況は分かる。ルールがあることも分かった。しかし、外科の責任は全うされたのか?まだ歩けないのに・・・。

医師が話があるというから父が面会のアポをとろうにも全く返事がなく、この話を母本人にいきなりしたらしい。この二人の医師のやり方には毎度毎度頭にくる。信頼関係は崩れきってしまっているので、転院はやむを得ない、と私も父も思っている。

ただ、抗がん剤を中断して2ヶ月。再開した場合の副作用が怖い。今の病院で最初の数回は処置してもらい、問題なければ転院というのが家族が話し合った結論。父が話す予定だがいっこうにアポが取れないので母にそれを言い含めた。

リハビリが終わったところをみはからって二人の医師が待ち構えていた。父のことはほっといて、転院の話を母に直接言い渡したのだ。

母に先に伝えていたおかげで、母の口から、今この病院にいる間に1回でもいいから抗がん剤を試し、問題がないか確認してほしいと何度も何度も頼み込み、それでも「うん」と言わない医師に、さらに母は泣きついたそうだ。見かねた師長がひきとって、医師に頼んでくれ、1回だけ、この病院で試すことにようやく決まった。
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by cogno_eb2 | 2011-12-14 00:32 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(7)   

母が落胆しきってしまった今、私たちはとにかく励ますしか方法がない。母は以前から勝手な解釈をすることがあり、今回もそれが出てしまったようなのだが、今は気力を失ってしまっては一気にもっていかれてしまう危険な状態。もともと頭のいい人だから、理路整然と丁寧に説明し励まし続けた。

母の食欲は戻った。食べられるようになるとこうまで見違えるものかと驚く。胸水の原因には2つあり、体力の低下とガン由来。食事がとれるようになって栄養状態が回復すれば、胸水は収まるとかつて説明があったが、ほとんど止まったことには驚いた。食事による栄養補給は、こんなにも体にとって重要なものであったのか。

順調な回復ぶりに医師もリハビリの開始を決断。これは母の念願でもあったから、筋力が衰えた影響で負担も大きいが、母の表情が明るくなった。

最初は足を上下に動かす程度から始まり、体を40から50度くらい傾けて両足に負荷をかけるリハビリへと進む。終わるとどっと疲れるようだが、リハビリの大変さは背中の手術を受ける前に予告されていたこと。やるしかない。

順調に回復の道を歩み始めた母に、医師たちはまた動き出した。転院せよと。

前は余命一ヶ月だから緩和ケアへ行けという内容だったが、今回は、ガン治療とリハビリの両方が受けられる病院への転院を言い出した。
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by cogno_eb2 | 2011-12-14 00:31 | 雑記(日記?)

戦隊モノには困ったもんだ   

うちの子が、幼稚園での出来事をあまり話さなくなった。どの友達とどんな遊びをしたのか、最初はよく教えてくれたのだが、○○で一人で遊んだ、という話に移ったあと、ついに話さなくなった。

その原因がようやく分かった。なんと、多くの友達が「戦隊モノごっこ」に興じており、見たことのない自分は輪に入れず、友達をとられてしまった、ということらしい。うちの子も誘われたのだが、うちでは暴力的なシーンの多いものは一切見せていないので、「忘れちゃったんだ」と答えていたそうだ。

「うちのテレビには映らないの?」と聞かれたと妻から聞いて、なんとももの悲しい気持ちになったのだが、○○レンジャーっていう戦隊モノに、教育的要素があるとはとうてい思えず、うちでは見せる気はさらさらないのだが、子どもたちの間でそんなに流行っていて、なによりも本人が寂しい思いをしているのなら、一度は試しに見せざるを得ないかなぁ。

そういうのにはまっている子は決まって言葉遣いが悪い(我が家調べ)。そういう子が話す言葉を覚えて帰ってきたら「え?なんて言ったの?」と言って聞き返し、我が家では通じないコトバとして処理しているのだが(笑)。

そして、そういう子は素行が乱暴(我が家調べ)。2歳の女の子の妹がいるから、乱暴なことをしないように誘導してきたのだが、そういう子と遊んで帰ってくると、たまにそういうのが出るので、やっちゃダメだと言わなきゃならない。

うちの教育方針からは真っ向から反するのだが、しかたがない。一度見せるとするか。

それに類するものは一切見せていないので、「怖い」といって引いてくれるといいのだが、ハマったらどうしよう・・・。

いっそのこと戦隊モノなんて打ち切ってほしい。
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by cogno_eb2 | 2011-12-07 22:37 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(6)   

母が入院して、見守る家族は男4人。冷静な頭で会社を切り盛りしてきた父も、看病疲れや年の影響か、だいぶ判断に感情が混じるようになった。これまでも感覚的というか感情先行型だった兄は、より手強い相手になってきてる。

もうダメだというのをベースにおくか、状況は変えられるはずと前向きにベースをおくかでまったく判断は異なってくる。

近くにいて最も苦しい表情を間近で見ている父と兄は、強力タッグを組んだような印象だ。

私と同様実家から遠く離れている弟は、冷静さと感情の強さの両方をもっている感じだが、今回の件は私と同様の考え方で前向きな感情をベースに組み立てて考えてくれている。

私と弟で、まずは父と兄のベースを前向きにと変えていく対話を粘り強くやっていく作業が、10月から2ヶ月くらい続いている・・・。

単に楽観視しているわけではない。そんな話をしたら「おまえはあの時にそばにいなかったからそんなこと言えるんだ」となってしまう。とにかく医師の説明を事実として受け止め、その中から希望を見いだすしかないのだ。肺の癒着の処置の後の体調の急変については、医師はガンが進行してしまっていること、体力が落ちていることを理由に先は短いと言った。

医師にも直接聞いたが、癒着の処置の前後でそんなに急激にガンが進行してしまったのかどうか。そんなに急激ならばしかたがない。しかし、医師は処置の前後での比較ではないということは明言した。比較するための資料を用意しておけと伝える。ガンの専門医が進行していると言ったそうだが、最近ろくに診察もしていないのだからそいつの言うことはほっておけ、というところに希望を見いだすしかない。

もう一つは体力の落ち方だ。10月4日に12時間の大手術をして食事がとれるまでに4週間かかっている。肺の癒着の処置はそれに比べて体への負担は軽いはず。漸次体力が落ちているとしても、肺の癒着の処置、その翌週CO2排出の処置をしたばかりでの「体力がもたない」という医師の判断。ちょっとまて。術後4週間たってから判断すればいいじゃないか。大手術よりも早く食事がとれるようになれば、体力の落ち具合は最悪のケースまで視野に入れるまでもないこと。4週間以上たっても無理なら、やはり落ちているということ。

この考えで我々家族は希望を持つことにした。
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by cogno_eb2 | 2011-12-05 23:02 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(5)   

弟が外科チームの主治医と、ガン治療の医者の両者と会うことができた。

結果からして、直接的にもう先がないと伝えたわけではなかったそうだ。医者いわく「そんなふうに受け取られてしまいましたか・・・」ということ。

言った言わないは検証不能。事実として、ようやく食事がとれるようになって、それが元気になるための現段階での唯一の方法であるという時に、食事がのどを通らないほど落胆させてしまった言動があったことは事実。

外科の医師が言うには、「緩和ケアの紹介をした後に、本人が、早く回復してまた通院のガン治療を再開したいと言ったので、緩和ケアの話をしていなかったのかと驚いた」ということらしいが、言い訳は結構。

本人も、家族も、とにかく体力の回復。今は食事がとれるようにならないと回復の見込みは無いということだから、何とか食べられること、その次のステップとしてリハビリ、その次のステップとしてガン治療の再開、これしか望んでいないのだ。

医学的に回復の見込みが無い、と二人の医師は結論付けた。そんなこと知ったこっちゃないんだ。我々の希望なんだ。医師はガンの進行で食事も取れなくなるだろうと、当初考えていた。でも、食事がとれるようになったじゃないか。その矢先でかつての見立てのとおりに話を進めなくてもいいじゃないか。ちょっとはこちらの事を考えてくれてもいいじゃないか。

今回のことで、医者はそのときその時点での判断しかしない、とかねてから私が家族に言っていたことがようやく家族にも分かったようだ。だから、彼らが、母の一番状態の悪いときに最悪のケースを想定しただけ、とこちらはとらえて、「食事がとれれば状況が変わる」と信じて祈るだけ。実際にそうなったら、医者はその時点で次のことを考えるだけ。

医者に先のことが見えないなら、こちらは希望をもとに前向きに考えるだけだ。誰にも分からないのなら、良くならないと断言できるヤツもいないのだ。本人はもちろん、家族も負けちゃいけないのだ。
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by cogno_eb2 | 2011-12-05 23:01 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(4)   

ところが、である。

あろうことか医師チームでない医師(今回は外科手術のチームで、そのほかに外来でガン治療を受けていたほうの医師)が、母にホスピスの話をしてしまった。今は終末期医療とは言わず、緩和ケア(ホスピス)というらしいが、身の回りの一切を手厚く看護してくれるところへ行ったほうがよいと勧めたらしいのだ。

父から電話があった。母がありえないくらい落ち込んでいると。母に電話した。医師に「リハビリをして動けるようになって早くガン治療を再開したい」と言ったら、驚愕の表情を浮かべ、ホスピスのことは聞いていないのかと言われたと。慌ててベテラン看護師に話をしたら、「この病院ではもう処置はできないとみんな考えている」と「言われた」と言うのだ。

家族の怒りは沸騰した。あれだけ患者の気持ちが折れるようなことのないようにと強く念を押したのに、何をやってくれているのか。

母は知り合いの婦人に「助けて」とメールをしたり、私との電話でも食事に手が着かず、このまま終わっていくのかと細い声で話す。そんなことはないと最大限激励する。

兄と弟にその旨を伝え、とにかく希望を与えるように連絡とってくれるよう頼む。本人の生きる意思が折れてしまっては何もならないのだ。

さすがの私も怒りが収まらず、そこまでして追い出しにかかっているのか、とか、もともとこのガン治療の医師は、母からみて評判の悪い医師だと聞いていたので、ろくに診察にもこず、急にこんなことを言い出すなんて、こんなヤツの言うことは信用ならん、とか、様々思いが交錯した。

患者のケアを第一に考える緩和ケアならこんなことにならなかったと、かねてから転院を視野に入れていた兄はいう。

ただ、我々は何一つ緩和ケアの情報を持っていない。HPからでは詳細は分からない。大事なのは、回復のための処置をしてくれるのかどうかだ。

これを聞いた弟が、仕事を切り上げ急遽病院に向かってくれた。母の気持ちを落ち着かせると共に、チャンスがあれば医師と話をするためだ。
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by cogno_eb2 | 2011-12-05 23:01 | 雑記(日記?)

ネットで中古車の査定額がわかる!?   

うちのクルマが買い換えの時期を迎えた。

初度登録から10年、中古で買って走行距離はもうちょいで11万キロになろうとしている。

常識的に10年10万キロ超えは値段が付かない、と思ってたし、車検を依頼しているディーラーにも「値段はつかないですね」と言われてしまっていた。

中古車市場には、中古パーツ市場も細々とあるらしい。いわゆる解体屋が使える部品を売り、事故ったりこすったりしたクルマの持ち主が、中古状態なのにディーラーで新品の部品をつけるのはちょっと・・、と考える需要に対し、リサイクルパーツで修理、という自動車工場もあるからだ。

よって、まず解体屋に見積もりを依頼した。アンダースポイラーなどのパーツにキズがあるので、その写真も送った。5万の値段がついた。その解体屋のHPには「買い取った後販売することもある」と載っていた。

そこで、複数社に一斉見積もりというネットの査定サイトに登録してみた。

ハナシが長くなったが、ここからが本題(笑)。

ネットで中古車の査定額はわからない、というのが結論。複数社にこちらの情報を提供し、受け取った会社から「是非一度無料出張査定にいかせてほしい」という電話がくる。

この返しのスピードがハンパ無く、サイト上で登録したらすぐに電話がきた。そっち方面に社員がでばってるからこのあと行くとのこと。

ほかの会社からも電話がすぐに入った。めんどくさかったので「ネットで分かると書いてあったから依頼した。メールで結果を返してくれ」と出張は断った。その結果、相場は10万前後。詳細は実車を見て下がる場合があるとの条件付き。

結局、最初に連絡があった会社がうちに来た。スポイラーのキズや内装の汚れなんかは目もくれず、走行距離、型式年式など車検証の情報、エンジン音、事故歴からパーツの接合部のチェック程度ですぐに数字が出た。5万とのこと。解体屋と同じ。解体屋も売るんだろう。

相場は底値で、これ以上は下がらないから判断は今でなくても良いとのこと。ノンターボ車なら値段はつかなかったとのこと。

キズのことを話しても、「是非ほしい」とまで言われた。

どうやら、中古車市場の相場は5万らしい。ネットで10万前後なんて言ってきたのは甘いささやき(エサ?)であって、会社が変わっても底値の5万は動かないと判断した。

クルマはレガシィツーリングワゴン GT-B。Eチューンだったら値段はさらに違うらしい。

ネットの査定サイトは実際に出張査定に行くためのエサ。よーくわかった。

5万で買っていくらで売られるのだろう?
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by cogno_eb2 | 2011-12-01 00:26 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(3)   

二酸化炭素を抜き取る処置が終わり、母は麻酔から目覚めた。入院してから1ヶ月半がたった。体力がすっかり落ちてしまった。

このタイミングで、父と兄が医者から重大な宣告を受けた。このままだと余命1ヶ月。終末期医療へ移ったほうがよいと。

電話で医師と直接話をした。母は回復するためならと悩んだあげくに決心をした肺の癒着処置だった。呼吸の領域を確保すれば、今後水がたまっても呼吸困難は避けられる、処置を勧めたのは他ならないこの医師なのだ。

とにかく、母の希望を失わせるようなことだけはしないでほしい、宣告などしないでほしいと強く念押した。医師からは、今後今回のような二酸化炭素がたまるような状態になったら、外科的な処置は体力を落とすだけだから命を短くするだけなのでできないと言われた。家族で話し合うことになった。

すぐにでも実家へ飛んで帰りたかったが、月に一度開催している若手育成のための勉強会の講師を務めているため、それをやりきって車で移動することにした。集まってくれた後輩達はちょっと少なめだったが、全魂込めて講義を行った。終了後その足で実家へと向かった。

家族での話し合いでは、最も苦しい状況を目の当たりにし、医者と直接話をした父と兄は、かなりの確率であきらめ感に支配されている。実家を離れた私と弟は、医師は「最も厳しい状況が続けば」という前提で言っているのだから、今は、母が希望を胸に体力の回復に向かってくれることのみを考えるだけだと、とにかく家族全員が前向きに進むしかないと、その重い空気を一蹴させるのに必死だった。

背中を開いた大手術から食事が取れるようになるまで4週間。その後すぐに癒着の処置をしてしまったことに後悔の念がぬぐえない。兄がいうように、今は体力の回復のほうが先ではなかったか。父も医師に対して思いは爆発寸前だった。こんなことになるとは。命を縮めただけではないのか・・・。

とはいえ、肺の癒着の処置は背中の手術よりは体に負担をかけてはいないはず。漸進的に体力は落ちていると考えられるものの、肺の処置から少なくとも4週間経つまでは推移を見守ろう。医師は最悪の体調の時に最悪の判断をしたが、回復すれば「良かったね」と言うだけだ。医師がこの先のことは誰も分からないというのなら、誰一人この先のことはわからないんだ。回復しないと言い切れる人間も一人としていない。

2時間に及ぶ議論は、まずは回復のための処置をする。終末期医療への転院は、本人が死期を悟ってしまうリスクがあり、気力が萎えたら終わりだ。よってその話すら本人にしない。ウソをつくわけではなく、家族は全員回復を願っているわけだから母を励ますのみだ、ということで一致した。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:41 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(2)   

診断の結果、背骨の5番目だかが砕けてしまっている、ガン細胞が神経にさわっていて動けなくなっている、ということがわかった。

10月に入って大手術を行うこととなった。砕けた骨と神経にさわっているガン細胞を取り除く12時間にも及ぶ手術だ。

術後、胸腔に水がたまり始めた。これまでのガンへの処置が止まってしまっているから進行しているらしい。たまった水によって肺が圧迫され呼吸ができない。夜中に車を飛ばして病院へ駆けつける。母は臨死体験を語った。正直、ぞっとした。

術後4週間、父は昼間は仕事、夜はつきっきりで看病をし、体重が5キロも落ちた。

ようやく食事ができるようになった11月。肺の空間を確保するための癒着の処置をすることを提案された。母はかなり悩んでいたが、それにより呼吸困難が解消できるならと決断した。

その処置の後、体調が急変した。呼吸が弱すぎて二酸化炭素が排出できず体内にたまる。危険な状態になったため人工呼吸器で二酸化炭素を抜き取る。麻酔のため眠っている母の姿を見て、父はもうダメなのではと感じたらしい。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:40 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(1)   

私の母がガンと宣告されて久しい。

12年ほど前、母が乳ガンの手術をした。転移を防ぐため、切除という方法を選択した。

3年前、呼吸が苦しく夜も寝られない状態が続いたため診察を受けた。乳ガンから転移した肺ガンと診断された。セカンドオピニオンでは余命3ヶ月と言われた。

私たち家族は大騒ぎになった。父や兄弟たちの受け止め方が四者四様で、まずは家族内の意思を確認・一致させる話し合いから、セカンドオピニオンは無視して大学病院でもう一度診察を受けるようになんとか説得し、ようやく診察を受けた。

その結果、最も体に負担をかけない治療法で、がん細胞は見事に小さくなった。3ヶ月なんていう診断はそもそも信じていなかったが、その後2年間、通常の生活を送ることができた。

ちょうど一年前、いよいよ抗がん剤の投与をする段階に進んでしまった。様々議論した結果、医者は2種類の投与を勧めたが、本人の意思で、ハーセプチンの投与のみで治療を行うこととなった。最初の3日間は副作用のためか、発熱、吐き気など、介護する父も参ってしまうほどの状況になったが、その後体が適用してきたのか、そのような症状は出なくなった。

孫の顔をできるだけ長く見せると元気がでるかとしばらく滞在したGW。季節の変わり目が体力的につらいらしく、非常につらそうだった。気温が上がってくる時期にはだいぶ体調も良さそうだったが、杖をつかないといけないほど足下が次第に弱ってきていた。

そして今年の夏。家族で温泉旅行に行った夏休みの直後、足が動かなくなってきて立てなくなってしまった。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:39 | 雑記(日記?)