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現在の年金制度は抜本的に改革しなければならない。   

●年金脱退権を認めよ

 改革の1点目に、25年払込の受給資格の問題がある。この25年という数字にどのような根拠があるのか知らないが、25年という年月を必須とすることは、転職をするにも一定の制限を課していることに相違ない。

 例えば、23歳で就職した場合、これがサラリーマンであれば厚生年金であるが、25年後の48歳になるまで、厚生年金以外の職種に転職できないに等しい。公務員共済や私大共済などの、異なる年金体制にある職種には就けないということだ。25年に1月足りなくても、年金は支給されない。47歳で転職し、その後25年働くとなると72歳。とうに定年を迎え、転職した先の年金でも25年に満たないのである。

 自営業や個人事業主になった場合は国民年金となるが、サラリーマンに見切りをつけ、あるいは技術を磨き、自分の手でスタートを切った人には、それまで払っていた厚生年金は、全くの捨て金ということになる。厚生年金に払うことで、基礎年金1階部分の国民年金へも払っていた扱いになっているそうだが、それでも2階部分はすべて捨て金ということだ。1階部分の国民年金のみで果たして老後は暮らしていけるのか。個人事業主もしくはベンチャーを立ち上げて年金を必要としないくらい稼いでしまうヒルズ族にでもならない限り、そのくらいの成功を収める保証がない限り、会社を飛び出して自分の腕で生きていく、というのはあまりにハイリスクだ。

 また、一度決意して飛び出したはいいが、失敗してどこかの会社に潜り込む、となると、25年の厚生年金をあてにするには、40歳までに出戻ってこなければならない(定年65の会社の場合)。39歳そこらの就職活動はかなりきついだろうが、そこが限界だ。さもなくば、完全緊縮財政をひいて、給料のみで老後の資金も計算しておかなければならない。

 ということで、受給資格に25年継続支払、という条件が設定されていることは、おそらく終身雇用制の時代の遺物だと思われる。これは現代社会においてはマッチしておらず改善すべきである。

 25年の設定を廃するか、年齢的に、明らかに25年勤められないことが明白な人には、年金からの脱退権を認めるべきである。支払われないものに金を掛けてどうする。無駄金を承知で給料から天引きされる馬鹿馬鹿しさはない。その金をこつこつ貯めて、あるいは運用に回して自衛する道を開くべきである。

 これを解消するには、確かに一元化、という方策が考えられる。

 しかし、一元化のみでは抜本的改革にならない。それは次以降の点で理解されるはずだ。

●亡くなったときに最低でも支払った分は返還せよ。
 
 25年の支払いを終え、第2の人生をどう歩むかという年齢に達したとき、年金の受給開始年齢を選択し、自分のライフプランを考えるだろう。私の記憶によれば、たしか、65歳受給開始がスタンダードで、それよりも早いスタートを選択した場合、受給額が減らされる制度になったはずだ。

 60歳の時点でまだ働こうと思い、65歳支給を選択したとする。現役のころから大幅に給料を減らしながらも、世話になった会社にとどまって力になろうと考えたのだ。
しかし、体は自覚なくむしばまれていて、65に達する前に亡くなったとしたら、年金をもらうことなくこの世を去ることになる。

 もちろん、遺族年金として妻に支給されるが、それは実は満額ではないのだ。妻が専業主婦の場合、会社員である夫の給料から、妻の基礎年金1階部分を払っていたという扱いになり、妻本人分の年金は出るが、あまりに少ない金額だ。それに加えて夫の遺族年金となるのだが、夫の受給額から何割かが引かれた額となるのだが、夫一人の給料で家計をきりもりして暮らしてきたわけだから、少なくとも、その家計から支出した年金保険金額に相応する満額の年金が支給されてしかるべきなのではないか。妻が掛けていたと見なされる年金額と、夫の遺族年金を合わせた額が、夫が支出した年金保険金額に相応する受給額よりも少ない場合、それは、国が想定する「働く夫、専業主婦の妻、子ども二人」というモデル家族を守れるとは思われないのではないか。このモデル家族の収入は夫の収入のみであるから、その収入から支出された保険金額に相応する年金は支給されるべきだ。それを、夫の死後、わざわざ夫の分、妻の分に分割し、算定をし直し減額支給すのはどうなのか。

 この制度では早死には絶対に損である、ということ。寝たきりになっても意地で生きながらえなければ、払った保険金を回収できないのである。亡くなった場合、それまでに支給した年金額を相殺して、せめて本人が払った金額はその遺族に返還しなければ、変な言い方だが早死にすらできない。

 この問題点は、明らかに世代間扶養を前提とする現行制度の弊害である。その年度の受給対象者を、その年度の現役世代(労働者)が支える、つまり、日本全国の年寄りにかかるその年の費用を、その年の全労働者の保険金でまかない、既にそれでは全額に満たないから、税金を投入しているのだ。

 この仕組みでは、亡くなったときに払い戻す、という発想は生まれない。亡くなったらサヨウナラなのである。よって、この世代間扶養をやめてしまう必要がある。

●個人勘定を導入せよ
 
 自分が現役世代に支払った保険金が、総額でいったいいくらなのか、そのお金を政府が責任をもって運用した結果いくら増えて、自分に権利がある金額はいくらなのかを明確にすべき。これを導入することで、厚生年金や共済年金といった別はなくなる。世代間扶養のもと一元化するのではなく、あくまで個人の別にし、個人の権利を明確にするのだ。
もちろん、現行制度は雇い主が半分を負担しているから、その扱いをどうするかが問題だが。それについては雇い主が負担する金額もその労働者の権利を保障するものだから、個人勘定に入れる、ことが妥当であろう。

 そもそも年金は国が保証する最低限度の生活に見合った金額になるはずだから、労働者が一生働いて老後のために年金を掛けていても、個人勘定に貯まる金額は、おそらくはとうてい長い老後を生きていくだけの額にならないだろう。つまり、国が保証する金額で毎月を過ごしても、ひょっとしたら数年分しかプールされていないかもしれない。

 国が保証する金額は、やはり国が保証すべきだろう。個人勘定の原資を国が運用して増やすことで個人の掛け金を増やしておかないと将来の国負担分は重くのしかかる。個人がよくわからないながらも株やら外貨やらで運用するよりも、個人勘定の原資をまとめて、国の責任のもと、ドカンと運用して個人勘定に戻す、という方法でこそ、国の年金だ。

 民間の保険商品でそれが成り立っているのだから、できないはずはない。まして、民間の保険商品では、保険金から手数料を差し引かれた残りで運用して、それで民間会社が成立しているわけだから、その方式ができないはずがなかろう。

 とはいえ、年金は国が生活の保障をするわけで、民間の保険商品は貯蓄型であり違いがあるので、個人勘定年金の純粋なる運用益だけで生活保障するのは厳しかろうから、やはりそこは現在のように税金を投入せざるをえないだろうとは思う。

 ◎私の考えでは、上述のように、個人勘定を導入して、世代間扶養をやめてしまうこと。これでなければ少子高齢化社会における年金制度は必ず破綻する。

 先日の産経新聞でも、世界各国の制度破綻の危機が取り上げられていた。世代間扶養であれば、破綻を防ぐには、現役世代の負担増、リタイヤ世代の支給減をし続けていかなければならない。現役世代が、自分たちがもらえる番になったら、今よりも段階的に、格段に受給が減る、とわかったら、高騰する保険金を払おうと思うだろうか。その分を自己責任で運用し、将来に備えた方がよっぽどましだと思わないだろうか。

 だから、今、国は脱退権を認めないだろう。現役世代が、これまで払い込んだ保険料を捨ててでも、これから払う保険料を自己責任で運用すると考えるだろう。少なくとも私は抜ける。

 私ごとで言えば、結局民間の保険商品を購入している。その購入額は年間90万くらいだろうか。国の制度が安心ならば、この90万は他に回せるのだ。でも、不安だから購入するのだ。でも、所得税の保険料控除はたった5万円。この国の制度はどこからどこまでおかしい仕組みになっている。

 そして、個人勘定にすることで、同時に社保庁の馬鹿な買い物に、年金資源をあてることをやめることだ。法律で年金資源から支出できなくする必要がある。宿泊施設の建設やら、ゴルフ練習場やら、個人の権利が明確となっている年金資源を、処分資格者でない社保庁の馬鹿どもが勝手に浪費できないようにすることは当たり前中の当たり前ではなかろうか。
とにもかくにも、年金制度は抜本的な改革が必要だ。世代間扶養制度は絶対反対。よって、世代間扶養を前提とする民主党の一元化案にも断固反対。個人勘定制度に切り替えよ。個人勘定ならば、転職も、早死にも損にはならないのだ。

 制度に関する詳細な考察は是非バックナンバーをお読みいただきたい。
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by cogno_eb2 | 2007-06-27 21:08 | 年金問題考

「松本人志すべらない話 ザ・ゴールデン」の演出はすべった   

 私は「すべらない話」の大ファン。今回、ゴールデン枠で放送ということで、正直心配した。ゴールデンに進出することでおもしろみが無くなった番組は腐るほどある。今回の「すべらない話」はそうなってほしくないが・・・。

 まず、演出に毒をはこう。はっきり言って意味不明。各界の著名人をゲストって、いったい何の必要がある?ゲストを招くのにどれだけコストがかかったか知らんが、まったくもってゲストなど不要。

 CMにいくたんびにゲストがでてきて「すべらんな~」だって。そんな演出いらん。そして、松本自身も苦笑していた「ゲストインタビュー」。まったくいらん。当の出演者だってゲストのコメントなんか聞きたくてやってるわけじゃ無いことくらい、誰にだってわかるだろ。

 アナウンサーが司会を務めて「松本さん、どなたの感想が聞きたいですか?」だって。松本が「別に聞きたくない」と言ってたが、見てるこっちだって聞きたくはないわ。そんな素人に振る時間があるんなら、全部カットして誰かのもう一話くらいオンエアしたらいい。ゲストが笑っている姿を映してどないすんねん。別に関係ないやろが。

 それから、1stステージ、2ndステージって何?各ステージでトップを決めるならともかく、人を変えただけ。意味不明。

 加えて出演者。ゴールデンを意識したのか、さまぁ~ず大竹や関根さんなどゴールデン受けする人物をチョイスしたのだろうが、通常のメンバーでやったほうがよかった。キム兄はgooだが、東野は×。大竹も×。松本よりもキャリアがなく、あの場ですべらない話をすることが緊張するような、ネタ帳を広げてどうしよう・・といいつつ、スゴネタを披露するようなメンツにするのがベスト。その意味では関根さんも×(関根さんは好きだけどね)。演出陣がゴールデン枠ということで保険をかけた結果だろう。

 松本が「いや~、安請け合いするもんじゃないですね」と言ってたのがまさにそのとおり。松本たちが深夜枠で好き放題やることこそがおもしろく、視聴率とれるからとゴールデン枠にもってこないでほしい。松本も懲りて二度とこんな話は受けないだろう。
あ~あ、やっぱ深夜枠のバックナンバー見たくなるな~。

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人志松本のすべらない話


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人志松本のすべらない話 其之弐 通常版

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by cogno_eb2 | 2007-06-04 22:00 | 雑記(日記?)

GUNDAM the origin VOL.15 ミハル姉妹のワンシーンに“?”   

 買ってきました。今回はようやくメインストーリーに戻ってのお話。妻に「カイとミハルのあの話だよ」って言ったら「またサブストーリー?」だって。メインストーリーに戻ったっちゅーねん。

 さて、今回気になったのは、なんといってもミハルとその弟・妹との会話。ミハルがホワイトベースに乗り込む前の、二人との別れのシーンです。
 私はこのシーンが好きなのですが、アニメ版と違って彼らの台詞がカットされているのに驚き。

<アニメ版ではこーだ!> 
「姉ちゃん、お母さんのにおいがする」
「思い出させちゃったかねぇ」


 この時の、妹がミハルに抱きついている顔が、なんとも幸せそうな名シーンなのだ。戦時下の不遇のきょうだいが、しばしの別れ、あるいは互いに最後の別れを予感していたかもしれないというディープなシーンなのだが、ORIGINではばっさりカット。

 これは、ミハルからは「母ちゃんのにおいは発していない」と判断したのだろうか(笑)、はたまた、アニメでのこのシーンはズームアウトして次の場面へ移るが、コマ割りのせいで入れられなかったのだろうか(劇画での限界?)。
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by cogno_eb2 | 2007-06-04 21:57 | ガンダム