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ガンと闘う(3)   

二酸化炭素を抜き取る処置が終わり、母は麻酔から目覚めた。入院してから1ヶ月半がたった。体力がすっかり落ちてしまった。

このタイミングで、父と兄が医者から重大な宣告を受けた。このままだと余命1ヶ月。終末期医療へ移ったほうがよいと。

電話で医師と直接話をした。母は回復するためならと悩んだあげくに決心をした肺の癒着処置だった。呼吸の領域を確保すれば、今後水がたまっても呼吸困難は避けられる、処置を勧めたのは他ならないこの医師なのだ。

とにかく、母の希望を失わせるようなことだけはしないでほしい、宣告などしないでほしいと強く念押した。医師からは、今後今回のような二酸化炭素がたまるような状態になったら、外科的な処置は体力を落とすだけだから命を短くするだけなのでできないと言われた。家族で話し合うことになった。

すぐにでも実家へ飛んで帰りたかったが、月に一度開催している若手育成のための勉強会の講師を務めているため、それをやりきって車で移動することにした。集まってくれた後輩達はちょっと少なめだったが、全魂込めて講義を行った。終了後その足で実家へと向かった。

家族での話し合いでは、最も苦しい状況を目の当たりにし、医者と直接話をした父と兄は、かなりの確率であきらめ感に支配されている。実家を離れた私と弟は、医師は「最も厳しい状況が続けば」という前提で言っているのだから、今は、母が希望を胸に体力の回復に向かってくれることのみを考えるだけだと、とにかく家族全員が前向きに進むしかないと、その重い空気を一蹴させるのに必死だった。

背中を開いた大手術から食事が取れるようになるまで4週間。その後すぐに癒着の処置をしてしまったことに後悔の念がぬぐえない。兄がいうように、今は体力の回復のほうが先ではなかったか。父も医師に対して思いは爆発寸前だった。こんなことになるとは。命を縮めただけではないのか・・・。

とはいえ、肺の癒着の処置は背中の手術よりは体に負担をかけてはいないはず。漸進的に体力は落ちていると考えられるものの、肺の処置から少なくとも4週間経つまでは推移を見守ろう。医師は最悪の体調の時に最悪の判断をしたが、回復すれば「良かったね」と言うだけだ。医師がこの先のことは誰も分からないというのなら、誰一人この先のことはわからないんだ。回復しないと言い切れる人間も一人としていない。

2時間に及ぶ議論は、まずは回復のための処置をする。終末期医療への転院は、本人が死期を悟ってしまうリスクがあり、気力が萎えたら終わりだ。よってその話すら本人にしない。ウソをつくわけではなく、家族は全員回復を願っているわけだから母を励ますのみだ、ということで一致した。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:41 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(2)   

診断の結果、背骨の5番目だかが砕けてしまっている、ガン細胞が神経にさわっていて動けなくなっている、ということがわかった。

10月に入って大手術を行うこととなった。砕けた骨と神経にさわっているガン細胞を取り除く12時間にも及ぶ手術だ。

術後、胸腔に水がたまり始めた。これまでのガンへの処置が止まってしまっているから進行しているらしい。たまった水によって肺が圧迫され呼吸ができない。夜中に車を飛ばして病院へ駆けつける。母は臨死体験を語った。正直、ぞっとした。

術後4週間、父は昼間は仕事、夜はつきっきりで看病をし、体重が5キロも落ちた。

ようやく食事ができるようになった11月。肺の空間を確保するための癒着の処置をすることを提案された。母はかなり悩んでいたが、それにより呼吸困難が解消できるならと決断した。

その処置の後、体調が急変した。呼吸が弱すぎて二酸化炭素が排出できず体内にたまる。危険な状態になったため人工呼吸器で二酸化炭素を抜き取る。麻酔のため眠っている母の姿を見て、父はもうダメなのではと感じたらしい。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:40 | 雑記(日記?)

ガンと闘う(1)   

私の母がガンと宣告されて久しい。

12年ほど前、母が乳ガンの手術をした。転移を防ぐため、切除という方法を選択した。

3年前、呼吸が苦しく夜も寝られない状態が続いたため診察を受けた。乳ガンから転移した肺ガンと診断された。セカンドオピニオンでは余命3ヶ月と言われた。

私たち家族は大騒ぎになった。父や兄弟たちの受け止め方が四者四様で、まずは家族内の意思を確認・一致させる話し合いから、セカンドオピニオンは無視して大学病院でもう一度診察を受けるようになんとか説得し、ようやく診察を受けた。

その結果、最も体に負担をかけない治療法で、がん細胞は見事に小さくなった。3ヶ月なんていう診断はそもそも信じていなかったが、その後2年間、通常の生活を送ることができた。

ちょうど一年前、いよいよ抗がん剤の投与をする段階に進んでしまった。様々議論した結果、医者は2種類の投与を勧めたが、本人の意思で、ハーセプチンの投与のみで治療を行うこととなった。最初の3日間は副作用のためか、発熱、吐き気など、介護する父も参ってしまうほどの状況になったが、その後体が適用してきたのか、そのような症状は出なくなった。

孫の顔をできるだけ長く見せると元気がでるかとしばらく滞在したGW。季節の変わり目が体力的につらいらしく、非常につらそうだった。気温が上がってくる時期にはだいぶ体調も良さそうだったが、杖をつかないといけないほど足下が次第に弱ってきていた。

そして今年の夏。家族で温泉旅行に行った夏休みの直後、足が動かなくなってきて立てなくなってしまった。
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by cogno_eb2 | 2011-11-29 22:39 | 雑記(日記?)

大阪で維新がダブル勝利   

大阪の知事・市長W選の結果が、開票開始後すぐに結果が出た。維新の圧勝だった。

大阪都構想は、現場の知事が不合理を感じた二重行政の弊害を無くす、というものであるので、そのこと自体には賛成できる。もっとも、二重行政というよりも、広域行政の点で政令指定都市の市長が府知事のいうことを聞かない、ということが大きかったのではないかとも思うが。

維新のマニフェストを詳しくは知らないけれども、大阪が東京のように特別区を設けて、特別区には住民に身近な権限と財源を配分し、それ以外の権限や財源は、広域的に大阪府が采配をふるう、そのシステムは理にかなっているとは思う。

一点、どうしても合点がいかないのは、同じ志を持つ知事と市長が誕生した今、現行制度で権限の再配分(実質的な大阪市の権限放棄)を行うことは可能になったのではないかということ。

なぜ現行制度での改革を主張するかというと、特別区制度は現行制度よりもさらに莫大な費用がかかるからだ。

区長の公選制は理にかなっている。横浜市のように巨大な政令指定都市では、人口30万人を超えている区が複数あるし、ほとんどが10万人超であり、公選の首長がいないことは、横浜の住民は同等の他の市の住民と置かれている立場が大きく異なると、原理的には指摘することができる。

ところが、特別区制度には議会が必須である。東京23区では区議会が存在しているのだ。大阪都構想では、大阪市と堺市をくっつけて特別区制度に移行するそうだが、つまり、同時に区議を生み出すことになるのだ。区議の全数が今の両市の市議の数からみてどのくらい増えるのか、歳費がどのくらい増えるのか。

二重行政の解消で得た財源を住民に還元するというのが旗印のようだが、還元できる財源ははたして区議にかかる費用を差し引いても魅力的な額として残るのだろうか。

知事と市長の二人の首長ポストを握った今、維新の会は、どこにムダがあり、どのくらい削ることができ、そこから区議の費用を指し引いてどのくらいメリットがあるのか示す責任がある。
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by cogno_eb2 | 2011-11-28 22:46 | ニュースコラム

サンタさんはつらいよ   

もうすぐクリスマスですね。

本来のクリスマスの意味を知っている日本人が果たしてどのくらいいるか知りませんが、かく言う私も知りませんが、プレゼントがもらえるステキな日になっちゃってるのはある意味大変なことなわけです。

サンタ(役の方)はさぞかし大変でしょう。

我が家ではディズニー トゥーンタウン ミニーマウス おみずでチェンジ マジカルおしゃれサロンなるものをサンタさんにお願いするそうだ。


なぜか私はクリスマス貯金なるものをしている・・・。なぜか、私が、である。

またこの季節がやってきた。

みんなが笑顔になるのなら、それはすばらしいことだ!
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by cogno_eb2 | 2011-11-19 08:47 | 雑記(日記?)